加藤日記(2014/7-2015/3)

2015年3月23日 (月)

梅の季節になりました

ここのところ経過報告がてら何度か会社に行っています。
まだ病院に頻繁に通っているので仕事をするには至っていませんが、それでも会社に行って最近の仕事の様子や出来事を聞くだけでも随分違います。

会社近くの社有林では4月末の東京美林倶楽部の植栽に向けちゃくちゃくと作業道が作られ、伐採した木の搬出が進んでいます。
現場に行く機会がめっきり減ったので、すぐに見に行けるところに社有林があるのは本当にありがたいです。

社有林での仕事を見てると、斜面を駆け回り、重いワイヤーを引き上げ、重機を操作し。
同じ職場の人とはいえ、これを一日中、そして数週間にわたって行っているのかと思うと凄い体力だと他人事のように感心してしまいます。

冬までは自分もこの中に入って作業していたのだと思うと悔しくもあり、動ける体が羨ましくもあり。
日に日に技術や体力を身につけているんだろうと思うと随分置いてかれてしまったなと思ったりして。

しかしあれも出来ない、これも出来ないと卑屈になっていても仕方がないので、
出来ることを見つけ、出来ないことを出来るようにしていかなければいけませんね!
けが人という立場に甘えているところが多分にあるので必死にならないと!
会社のブログに書くようなことではないかもしれませんが、
宣言しておかないとこのままボンヤリと過ごしてしまいそうなので。

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梅が満開です。
あちこちから梅の香りが漂ってきます。

加藤

2015年3月17日 (火)

いただきもの

先日、近所の方から鉈や籠をいただきました。

2年ほど前に亡くなったご主人が山師で、その方が使っていた道具です。

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少し錆びていましたが研いだら綺麗になりました。まだまだ使えます。

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とても几帳面な方で道具を大切にされていました。

元気なうちに山の話や仕事のやり方、道具の手入れの仕方などいろいろなことを聞きたかったと残念です。



生前のおじさんは私にとっては山師というよりも近所の優しいおじさんという感じで、なにかと声をかけてくれ可愛がってくれました。訛りの強い話し方で明るく根っからの名栗の人という感じも好きでした。


私が小学生のとき近くの山の木を切って搬出することになり、面白そうだからとおじさんについていき仕事を見せてもらったことがありました。今思えばただの足手まといでしかなかったのですが、それでも休憩のときにお菓子をくれたり、山仕事の話をしてくれたりと優しく接してくれた記憶があります。

そんな経験が私が林業へと進む要因になったのかもしれないという気もしたりして、

今更ながらおじさんに、山仕事はじめました。と報告したいです。


加藤

2015年3月 9日 (月)

古い写真②(修羅出し編)

暖かい日が多くなってきました。冷え性持ちで寒いのは苦手なので本格的な冬を前に寒さ対策には余念がなかったのですが、一番寒い時期を山で過ごすことなく春になってしまいそうです。

寒い時期にとっておいたネタも時期外れになってしまいました。


今日は我が家に残る大正2、3年に撮られた『修羅(しゅら)出し』の写真を紹介します。


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修羅出しとはかつて行われていた木材の搬出方法で、その名のごとくかなり危険な搬出方法です。

架線集材などの近代的な搬出方法が出てくる以前はこの修羅出しと橇道(ソリミチ)を作り材を橇に乗せて出す方法が主流でした。



12月に入ってからの寒い時期、伐採現場でリンと呼ばれる木組みを組み乾燥させた木を谷側に向かってV字型に組んでいきます。

この樋状の装置を『修羅』と呼び、伐採現場がある山の上から、流しそうめんの台のように下へ下へと繋げていきます。

そして早朝修羅の内側に水を打ち凍らせたら準備は完了。

伐った木をこの修羅の中に引き込むと木が滑っていくわけです。

この説明だけだと、まるでボブスレーのごとくとんでもないスピードで山の上から麓まで滑っていく様を想像しますが、

必ずしも伐採現場から一気に麓まで流せるわけではなく、途中大きなカーブがあったり、修羅を組む木がなくなったりすると中継地点を作り、一度そこまで木を出し溜まったら、またその下に修羅を組み流していきました。


またあまりスピードが出ると木が暴れ修羅から飛び出し危険なので、勾配が急なところは水を打たないようにしたり、障害物を設置するなどして勢いを抑えたそうです。

写真に写っているのは山の麓の最後の到着地点でこうした材の出口を修羅口と呼びました。修羅口には安全を祈願した梵天が飾られ、注連縄が張られました。

安全に木を流せるよう様々な技術と工夫があったようですが、それでも大量の木を流しているうちに修羅が痛み木が飛び出したり、修羅自体が壊れたりすることもあり、修羅のヘリに立って木を流す職人にとってはとても危険な作業だったようです。

多摩地域周辺では木材生産が盛んになった明治30年頃から修羅出しが行われるようになり、最盛期には山に組まれた修羅をどこでも見ることができたようですが、昭和30年頃になるとワイヤーケーブルを張り材を吊り下げて搬出する架線集材が主流となり修羅が作られることはなくなりました。



それにしてもこうした巨大な装置を何百メートルも全て手作業で作り上げた先人の技術と力には驚かされます。

この写真を見るたび一度でいいから修羅出しを見てみたかったと思います。それはそれは壮観な景色が広がっていたことでしょう。


撮影場所はうちのすぐ近くで当時の面影はありません。


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加藤


2015年3月 2日 (月)

WOOD JOB!の思い出

怪我をした手の経過は順調です。
元のように動かすにはまだまだ程遠い状態ですが、それでもリハビリは少しづつ次のステップへと進んでいます。

山仕事の日々に比べると実に地味な毎日で、
ブログに書くことといえば経過報告ぐらいしかないのですが、
それでもこうして順調な経過を辿っていることを毎回報告できるというだけでも幸せなことですね。

さて、そんなわけでなにを書こうか、、、

そういえばこの前『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』を観ました。
皆さんご存知のとおり昨年公開された映画で監督が矢口史靖さん、原作が三浦しをんさんの林業を題材とした映画です。
レンタル屋の新作DVDの棚に並んでるのを見て思わず借りてしまいました。
もちろん林業男子たるもの当然公開時に映画館に行ったので、観るのは今回で2回目です。
とはいいつつ、この映画が公開されていた昨年初夏、私はまだ林業男子ではなく林業男子志願者でした。

ちょうど東京チェンソーズの新規採用の募集が出され、
思い切って仕事を辞め、背水の陣でチェンソーズへ履歴書を送った頃でした。

これで落ちたらどうしようという不安と緊張による腹痛に苦しみながら、6月にしては暑すぎ陽気の中慣れないスーツを着て汗をかきかき面接を受けに行ったことや、

会場となった立川の東京都農林水産振興財団にばっちり貼られた『WOOD JOB!』のポスターを見て、映画に影響されて受けに来たみたいだとちょっと笑えたこと、

面接会場の前で出会った半袖のワイシャツにジャケットというやっぱりスーツは着なれてなさそうなやたらガタイのいい青年にちょっと気遅れしながらも、話してみると感じが良くて一緒に働けたらいいなぁ と思ったこと(数日後、採用の連絡を受け、初顔合わせで彼と再会するのでした)

ガチガチに緊張しながら臨んだ面接での青木さんからの最初の質問は『WOOD JOB見た?』だったこと

久しぶりに観た『WOOD JOB!』は去年の初夏、山仕事やチェンソーズに憧れ、期待に胸を膨らませながら、入れるか入れないか、じりじりと過ごした日々の気持ちや思い出を甦らせてくれる映画となっていました。

もちろん映画の中身も凄く面白くて、俳優陣の演技も最高で、いろいろな思い入れ抜きにしても矢口監督作品の中ではダントツに好きです。

また思うように仕事ができず気持ちが沈んだときや初心を忘れてしまったときに観てみようと思います。

加藤

2015年2月23日 (月)

事故を振り返る

電車とバスを乗り継いでの通院にもだいぶ慣れてきました。

おはようございます、加藤です。

おかげさまで怪我をした手は順調で、すこ〜しづつですが指先に力が入るようになってきました。

ほんとに微々たる変化ですが、もとに戻るのかと悶々としつつ代わり映えしない通院生活の中で感じるちょっとした手の回復がすごく嬉しかったりします。

しかし、片手が思うように動かない不便さ、回復の遅さを感じるたびに随分重い怪我をしてしまったんだと今更ながら思い知ることも多くあります。

これまでも少し縫うくらいの切り傷や捻挫のような怪我は何度もしてきましたが、骨折だとか靭帯を切るような大きな怪我はしたことがありませんでした。

それにそんなに自分を追い込める方じゃないし、痛みに強い方でもないので、

心のどこかでこれからも自分が大きな怪我を負うことなんてないと思っていました。

だから転がり落ちている瞬間も、ああヤバい とは思いつつ、

本気で怪我するかもという危機感はなかったし、すぐ下の沢まで落ちればどうにかなる、いつものようにきっと大したことにはならないと感じていたのです。

山仕事をはじめてから、再三、安全第一で、大きな怪我や死に繋がるから気をつけるようにと多くの先輩方に言われ、自分でもわかったような、注意しているようなつもりになっていました。

しかし、こうなってみるとちっともわかっていなくて、

少しぐらいヒヤリとする事にはどこか慣れ、その先にある最悪の結果に本気で危機感を持てていませんでした。

 

もっと丁寧に振り返って書きたかったのですが、いまいちうまく書けないのでまたの機会に。

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入院中、何度か散歩で行った多摩川の土手から

加藤

2015年2月16日 (月)

怪我のご報告

約ひと月前の1月16日、間伐前に行う大刈り中に滑落、使用していた刈払機の刃が左手の平に当たり、全治1〜2年の怪我を負ってしまいました。
事故の詳細につきましては、弊社Facebookやホームページでご報告させていただいた通りです。

この度の事故で多くの方にご心配とご迷惑をお掛けしてしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。

事故後、病院へ救急搬送され当日中に手術を受け、約一カ月の入院。
傷は思っていたよりも早く回復し、先週はじめに抜糸も済み、13日に退院することができました。
またリハビリも事故後1週間ほどで開始。
まだまだ左手の力だけで指を自由に曲げ伸ばしすることはできませんが、腱が固まらないようマッサージして動かしています。

ひと月近く、山や仕事から離れてしまいました。
仕事復帰へのリハビリも兼ねて少しづつブログを書いていこうと思います。

今後も多くの方にご迷惑をおかけすることと思いますが、
何卒よろしくお願い致します。

加藤 真己

2015年1月16日 (金)

降雪!

年末年始は食っちゃ寝を繰り返し、仕事がはじまってからも教習所通いが続いている加藤です。
一昨日までは6日間にわたる建設機械の講習を受けていました。これで男子の憧れ、パワーショベルやブルドーザーを運転できます!
ただ講習の半分は座学。また実技も機械に乗ったり、人が運転しているのを見ている時間が多いので山仕事のように体を動かすことはありません。
昨年末、法面の成型作業でひたすらトンガを振り、鍛えられた体がこの年末年始ですっかりなまってしまいました。
そんなわけで昨日は久しぶりの現場作業。檜原村の山奥で間伐作業前に行う大刈りをしました。
最初は少しモタモタしていましたが1、2時間もすると徐々に体が暖まり作業に没頭。さぁこれから!というところで、空から雪が。。。
あれよあれよという間に林道にはうっすら雪が積もりました。
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まだこのぐらいの積もり方なら作業はできるのですが、
うかうかしていると木に覆われていない林道にはさらに雪が積もり帰れなくなってしまうので、これにて撤収!無念!!
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(↑早上がりに喜ぶ人もいます)
うちのまわりにも数センチ積もりました。
夜になって雪はやみましたが道路はこんな状況。
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朝にはスケートリンクです。
さて今日は無事現場までたどり着けるのか!?
安全運転で行ってきます!
加藤

2014年12月26日 (金)

大掃除

最近は連日お天気がいいですね!
おかげさまで風が強い日には土ぼこりが盛大に舞い、目が痛い!
帰ったらまずは風呂。体を洗ったタオルをゆすぐと洗面器のお湯が茶色くなります。

そして夕飯をゆっくり食べて、ビールを飲んだら おやすみなさい。
自分は夜型人間と確信していましたが、最近は小学生のとき以来の早寝早起きになりつつあります。
しかし、年末年始の飲み会やらなんやらで健康的だった生活リズムはがたがたになってしまうのでしょう(笑)
さて年末も押し迫り、チェンソーズの事務所では毎年恒例の大掃除が行われました。
例年どの程度の大掃除がされているのかわかりませんが、今年はなかなか大掛かりなものだったように思います。
チェンソーズの事務所といえばモノで溢れかえり、開かずの間があることで有名ですが(?)、このたびそれら手つかず、タブーと化していた部分に手を入れたのです!

結果、、、
この事務所はこんなに広かったのか!
PCが並んでいた部屋の奥には仏間らしき部屋が出現。
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(写真撮ってないで掃除しろと言わんばかりの大塚先輩)
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(掃除途中のごった返す事務所内でカップラーメンを食べる青木社長)
使えなくなった資材などが押し込まれていた物置小屋はすっきりとし、車庫にでもなりそう。そして今更ながら2階があることも知りました。
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(2階は養蚕が盛んだった時代、蚕部屋として使われたそう)
大掃除は一日では終わらず、随時手の開いた人が続きをしていくことになっています。
さぁ!夢の屋内水洗トイレが設置される日がくるのか!大掃除の末が楽しみです!!
加藤

2014年12月19日 (金)

奥多摩湖の現場

ここ数週間は奥多摩に通っています。
小河内ダム(奥多摩湖)の湖畔を走る道路の上。土砂崩れ、崖崩れを防ぐための工事現場に関わっています。

急な斜面に這いつくばって草を刈ったり抜根したり、土砂を搔き出し搬出したり。
林業に携わるようになって知ったことですが、意外とこの仕事、土を掘ることが多い。
林内での道作りや木柵作り、急傾斜地で木を切り、斜面を搔きならす。
ここ数ヶ月でトンガ(つるはし)やジョレンを相当振ってきた気がします。
今時、なんでも機械でやるもんだとなんとなく思っていたのですが、とんでもない!
機械を使えないようなところはたくさんあって、そういったところは結局のところ人力、手作業。少しでも早く、奇麗に仕上げられるよう工夫しながら黙々と地道に現場と向き合うのです。
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ところで今入っている現場。眼下に湖が広がり、天気がいい日には湖面がキラキラ光ってとても奇麗です。
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ただ問題は遮るものがなにもないため風が強い。。。ここ数日の爆弾低気圧による強風が湖面から吹き上げ、あるいは湖を囲うように連なる山から吹き下ろし。
どんなに天気が良くても奥多摩の冷たい風は、ひたすら寒いです。
と泣き言いってても仕事は進まないので、今日も修行のつもりで頑張ってきます!!
加藤

2014年12月12日 (金)

昔の山の暮らしを思う

先日、人里離れた山の中で間伐前に邪魔になる低木を除去するため、「大刈り」を行っていたいところ目の前に突如大きな穴が現れました!

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イノシシが食べ物を探したり泥浴びするために掘った穴や、人間が山芋堀であけた穴に遭遇することは度々あれど、これほど大きく深い穴に出会ったのは初めて!
しかも穴の周りには人工的に石が積み上げられ、しっかりとした作り。
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落ち葉や雑草に覆われていることから昔作られたものだということはわかりましたが、ゴミがなければ最近作ったといわれても疑問に思わないほどしっかりとした作りです。

戦時中に作られた防空壕か!?と一瞬思ったものの、こんな山の中に作ることはないだろうし、普通横穴のものを掘るのでそれはない。

じゃあ縄文時代とかの住居跡!遺跡発見しちゃった!?なんて思ったりもしましたが、ここは人工林。これまでにも植え付けや間伐などで足を踏み入れた人はいるはずで、当然この穴も見ているはず。だいたい縄文遺跡が地表に表出しているなんて考えずらいし・・・・・

しかし見慣れない形の穴なのでなんだろうなんだろうと見回していると、大きな穴の山側(頂上方向)に小さな穴も発見。
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この穴のヘリにも丁寧に石が組まれ、真四角の穴になっています。
そこでやっと答えがわかりました!

炭焼き窯!!
大きな穴の上部に開いたこの小さな穴はクドと呼ばれる煙道。炭焼きは切った木を山の中に作った窯で焼いていたそうだし、檜原周辺はその昔、炭焼きが盛んでそれで生計を立てている人々が多くいたと聞いたこともあります。

話では聞いていたものの実際山の中に作られた窯など見たことなかったし、炭は大抵雑木を焼くものなので、一面杉、檜、しかも50年生と結構太く大きくなった現在の黒木山の中にいると炭焼きしていたなどと想像しにくいのです。


おそらくこの窯は今生えている黒木が植えられる前、まだ山が雑木に覆われていた頃に作られたものでしょう。
そう考えると凄いですね。50年以上前に作られた窯が今もしっかりとその形を残し、またその作りも巧み。今これを作れる人がどれだけいるのでしょうか。


山の中で突如出会った穴から昔の人の仕事や暮らしぶり、技術の高さ、そしてかつて雑木に覆われていたであろう山の姿を知り、何十年か何百年かの月日の流れをタイムスリップできたような気分になりました。

こういう文化の深さというか、積み上げられてきた歴史の上に今の姿や自分の暮らしがあるかと思うと、なにか妙に感動できたりして、そんな経験が好きだから、
田舎の民俗や祭りが僕は好きなのです。


加藤

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